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神戸地方裁判所 平成2年(ワ)376号 判決 1992年1月23日

原告

濱口三代子

ほか四名

被告

米留範昭

主文

一  被告は、原告濱口三代子に対し金九〇六万二六五一円、原告濱口竜司、原告濱口明彦、原告濱口美奈子及び原告濱口久美子に対し各金二〇五万〇六六三円、並びにこれらに対する昭和六三年三月一一日から右各完済まで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを九分し、その五を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告濱口三代子に対し金一六五六万四六一二円、原告濱口竜司、原告濱口明彦、原告濱口美奈子及び原告濱口久美子に対し各金三八九万一一五三円、並びにこれらに対する昭和六三年三月一一日から右各完済まで年五分の割合による各金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動車と衝突事故を起こして死亡した原動機付自転車の運転者の遺族が、自賠法三条に基づき損害賠償を請求した事件である。

一  (争いのない事実等)

1  原告濱口三代子(以下「原告三代子」という。)は、亡濱口一郎(昭和七年二月七日生まれ)(以下「亡一郎」という。)の妻であり、原告濱口竜司、原告濱口明彦、原告濱口美奈子及び濱口久美子(以下それぞれ「原告竜司」、「原告明彦」、「原告美奈子」、「原告久美子」という。)は、いずれも亡一郎の子である(弁論の全趣旨)。

2  次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 発生日時 昭和六三年三月一〇日午後七時四〇分ころ

(二) 発生場所 神戸市兵庫区東柳原町一番一八号先交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 被告運転の普通貨物自動車(以下「被告車」という。)

(四) 被害車両 亡一郎運転の原動機付自転車(以下「一郎単車」という。)

(五) 事故態様 本件交差点を南から東に向かい右折進行中の被告車が、同交差点を北から南に向かい直進してきた一郎単車と衝突した。

3  被告は、本件事故当時、被告車を保有し、自己のために運行の用に供していた。

4  亡一郎は、本件事故により、昭和六三年三月一一日死亡した(乙二)。

5  原告らは、亡一郎の死亡に対する損害の填補として、自賠責保険から金二五〇〇万円の支払いを受けた。

二  (争点)

1  損害額

特に、亡一郎の死亡による逸失利益に関する双方の主張の要旨は、以下のとおりである。

(一) 原告ら

亡一郎は、死亡当時、満五六歳で工務店を経営し、金五五〇万九六〇〇円を下回らない年収を得ていたから、亡一郎の死亡による逸失利益を算定するに当たつては、右年収額を基礎とし、また、生活費控除率は三割とすべきである。

(二) 被告

原告ら主張の前記年収額は、所得税の確定申告による裏付けを欠くばかりでなく、帳簿等も極めて不十分であり、経費である従業員に支払うべき給料についても源泉徴収や社会保険料の支払いなどによる裏付けを欠くから、亡一郎の死亡による逸失利益の算定に当たつては、昭和六三年賃金センサス産業計・企業規模計・男子労働者五六歳の平均年収額金四八〇万五八〇〇円を基礎とすべきである。

また、亡一郎は、本件事故当時、原告ら家族と別居していたのであるから、生活費控除率は四割とすべきである。

2  過失相殺

過失相殺に関する双方の主張の要旨は、以下のとおりである。

(一) 被告

(1) 本件事故は、一郎単車が、対面信号が赤色に変わつたにもかかわらず本件交差点内に進入し、既に本件交差点内で矢印信号にしたがつて右折を開始していた被告車の前部に衝突したものである。

(2) 仮に、被告車と一郎単車との衝突の時点が、前記対面信号が黄色信号になつてから遅くとも五秒ないし六秒後であつたとするならば、一郎単車の対面信号は既に赤色表示となつており、被告車がしたがうべき矢印信号は右折を可とする状態になつていたうえ、一郎単車が本件交差点の北側から同交差点に進入してこれを抜け切るまで約一〇〇メートル走行しなければならないから、一郎単車が、対面信号が青色から黄色に変わる時点で本件交差点に進入することは、急いで本件交差点を通り抜けようとしてかなりのスピードを出さざるを得ず、極めて危険な走行をしていたことになる。

(3) 以上により、本件事故については、亡一郎の過失を七割、被告の過失を三割と認めるのが相当である。

(二) 原告ら

一郎単車は、青色の対面信号にしたがい、時速三四・六キロメートル以下の速度で本件交差点に進入したものであるところ、被告は、被告車を運転して本件交差点を南から東に向かい右折進行するに当たり、対面直進車両の有無及びその安全を確認すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と右折進行した過失により、本件事故を惹起したものであるから、亡一郎に過失はない。

第三争点に対する判断

一  損害額〔請求額・原告三代子につき金二七五六万四六一二円、その余の原告らにつき各金六六四万一一五三円〕

1  亡一郎の逸失利益 金三一八五万六六三三円

(一) 証拠(甲一、二、三の1ないし15、四の1ないし13、五の1ないし31、乙一五、証人采女繁雄、原告濱口三代子)によれば、次の事実が認められる。

(1) 亡一郎は、もともと大工で、昭和四〇年以来本件事故時に至るまで工務店を経営し、庶務・会計を担当する采女繁雄(以下「采女」という。)のほか、大工二名を雇つていた。そして、采女は、毎月、亡一郎及び従業員の出勤表、下請等への支払い明細、受注先からの入金状況等を記帳し、受注先に対する請求や集金を行つていた。

(2) 采女は、本件事故当時、亡一郎に毎月合計金二六万円の現金を手渡していたほか、亡一郎に代わつて、亡一郎の保険料や銀行の積立金の支払いを行つており、亡一郎が、本件事故前の一年間である昭和六二年三月から昭和六三年二月までの間に、采女から受領した現金及び保険料・積立金の合計額は、金五二九万七九六〇円であつた。

(3) 本件事故当時、原告竜司は既に就職して独立し、原告明彦は名古屋で大学生活を送り、原告美奈子と原告久美子はいずれも高校生であつたが、原告三代子は、昭和六二年九月から亡一郎と別居し、マンシヨンを借りて、原告美奈子及び原告久美子と同居していた。

そして、亡一郎は、生活費として、毎月二五万円位を原告三代子に渡していたほか、原告明彦、原告美奈子及び原告久美子の学資を負担していた。

(4) なお、亡一郎は、原告三代子と別居後も、頻繁に原告三代子宅を訪れ、同原告宅で一緒に食事をしたり、泊まることが多かつた。

(二) 以上の事実を総合すれば、亡一郎は、本件事故当時、金五二九万七九六〇円を下回らない年収を得ていたものと認めることができ、また、夫婦別居とはいうものの、その実質はほとんど同居に準ずる状態にあつたものといつて差し支えないから、その生活費控除率は三割と認めるのが相当であり、右認定説示に反する原告ら及び被告の各主張は、いずれも採用することができない。

(三) そうすると、亡一郎は、死亡当時満五六歳であつたから、本件事故により死亡しなければなお一一年間就労可能であり、その間少なくとも金五二九万七九六〇円の年収を得ることができたものと推認されるので、生活費控除率を前記のとおり三割として、その逸失利益を算定すると、次の計算式のとおり、金三一八五万六六三三円となる(円未満切捨て、以下同じ。)(なお、八・五九〇は、一一年の新ホフマン係数である。)。

五二九万七九六〇円×(一-〇・三)×八・五九〇=三一八五万六六三三円

2  原告らの相続

亡一郎は、右損害賠償請求権(金三一八五万六六三三円)を有するところ、原告らは、亡一郎の死亡により、同人から右損害賠償請求権をそれぞれ法定相続分にしたがつて、原告三代子については二分の一、その余の原告らについては各八分の一ずつ相続した(原告三代子は金一五九二万八三一六円、その余の原告らは各金三九八万二〇七九円)。

3  葬儀費用 金一〇〇万円

原告三代子は、亡一郎の死亡に伴い、葬儀費用として金一〇〇万円を要した(弁論の全趣旨)。

4  原告らの慰謝料

原告三代子につき 金九〇〇万円

その余の原告らにつき 各金二二五万円

以上認定の諸般の事情を考慮すると、原告三代子については金九〇〇万円、その余の原告らについては各金二二五万円が相当である。

二  過失相殺

1  証拠(乙三ないし七、一二ないし一四、一七、一九、二〇、二二(一部))によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 本件事故現場である本件交差点は、別紙図面(以下「図面」という。)記載のとおりであつて、大開通方面(北方)から吉田町方面(南方)へ通じる車道幅員一八メートルのアスフアルト舗装道路(以下「南北道路」という。)と、大阪方面(東方)から長田方面(西方)へ通じる車道幅員四一メートルの国道二号線とがほぼ直角に交差する信号機により交通整理の行われている十字型交差点であり、直線道路が交差しているため障害物がなく、本件交差点に進入する車両は、互いに見通しが良好である。また、本件交差点には、照明設備(水銀灯)が設置されているため、夜間でも明るい状態にある。

南北道路は、最高制限速度が時速四〇キロメートルである。

なお、本件事故当時の天候は晴れ、南北道路の路面は乾燥していた。

(二) 南北道路を走行する車両が従う本件交差点の信号機の本件事故当時における現示状況は、青色表示が五四秒間続いた後、黄色表示が四秒間続き、その後赤色表示が八二秒間続くが、右赤色表示に代わると同時に、右折矢印表示が八秒間続いていた。

(三) 被告車と一郎単車との衝突地点は、図面表示の×地点(以下符号は、図面に表示の符号である。)であり、本件交差点の北側進入口の車両停止線から×地点までの実測距離は、四八・〇五メートルである。

(四) 被告は、被告車を運転して南北道路を北進し、本件交差点を右折して柳原インターに入るべく、同交差点の南側進入口から、青色信号に従い右折の合図をしながら本件交差点に進入したところ、対向車両が一台南進してきたので、<1>地点で停止した。右対向車両が通過後、被告は、対面信号機の表示が青色信号から黄色信号に変わつたのを認めたので、南北道路を対面進行してくる車両はもうないものと軽信し、前方の確認を十分にしないまま、一呼吸おいて被告車を発進させ、徐行して二・〇メートル進行した<2>地点で対面信号機を見ると、右折矢印が点灯したのを認め、もつぱら柳原インター入口方向のみに注意を払つて、徐行のまま<3>地点まで一・五メートル進行したところ、南北道路を南進してきた一郎単車が、被告車の二・一メートル前方の地点に迫つているのをはじめて発見し、急制動の措置を講じたが及ばず、さらに〇・六メートル進行した×地点において、一郎単車に被告車右前部を衝突させた。

(五) 兵庫県警察本部科学捜査研究所技術吏員作成の鑑定書によると、本件事故当時、一郎単車の前照灯は点灯されており、本件衝突時の被告車の速度は、時速八キロメートルないし一五キロメートルの範囲内であり、一郎単車の速度計は、時速四五キロメートルを指して停止していたが、損傷状態から判断して、右単車の横転時の衝撃によるものと考えられ、衝突時の速度を指しているものではないと判断されるが、衝突時の一郎単車の速度を算定することは不可能とされている。

しかしながら、右鑑定書によると、一郎単車の速度は、その性能等から判断して、時速四〇キロメートルを超えることはないとされており、右一郎単車の速度がそれ程出ていなかつたことは、捜査段階において、被告自身が認めていた。

2  もつとも、証拠(乙二二、二五)中には、被告車が本件交差点に進入した時点の対面信号が黄色表示であつたこと、一郎単車の速度が相当に高速度であつたことを窺わせる部分がある。

しかしながら、証拠(乙一七、一九、二〇、二二、二五)によれば、被告は、捜査段階において、被告車は、青色の対面信号に従つて本件交差点に進入したこと、一郎単車の本件衝突時の速度は、それ程出ていなかつたことを一貫して供述し、また実況見分調書の指示説明と異なる説明もせず、その旨の司法警察員及び検察官に対する各供述調書が作成されたところ、被告に対する業務上過失致死被告事件(神戸地方裁判所昭和六三年(わ)第四八七号)の第五回及び第六回公判期日における被告人質問において、被告は、はじめて被告車が本件交差点に進入した時点の対面信号は黄色を表示していたものであり、本件衝突時、一郎単車が猛スピードで突つ込んできた旨を供述するとともに、前記各供述調書は、被告においてなんら供述していないことを捜査官が勝手に作成したものである旨を供述するに至つたことが認められる。

かかる事実の経過に徴するならば、乙二二、二五の記載内容がとうてい信用し難いものであることは、明白である。

3(一)  右1で認定の事実によれば、被告は、被告車を運転し、信号機により交通整理がおこなわれている本件交差点を南から東に向かい右折するため、青色信号に従い同交差点に進入し、いつたん停止後、徐行して右折進行するに当たり、対向直進車両の有無及びその安全を確認して進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、対面信号が黄色を表示していることに気を許し、対向直進車両の有無及びその安全を十分確認することなく、漫然と右折進行したため、本件事故を発生させた過失がある。

(二)  他方、亡一郎も、一郎単車を運転し、本件交差点を北から南に向かい直進するに当たり、対向右折車両の有無及びその安全を確認して進行すべきところ、亡一郎はこれを怠り、漫然と直進したため、本件事故に至つたのであるから、亡一郎にも過失があるといわなければならない。

(三)(1)  ところで、<1>被告車の本件衝突時の速度が、時速八キロメートルないし一五キロメートルの範囲内であること、<2>被告車は、本件交差点に進入していつたん停止後、対面信号が黄色表示中に右折進行を開始し、約二メートル進行した時点で、対面信号は赤色表示(同時に右折矢印表示)に変わり、さらに約二・一メートル進行して一郎単車と衝突したこと、<3>右折矢印表示は四秒間続くことは、前記認定のとおりである。

(2) そうすると、仮に、本件事故当時の被告車の徐行速度を時速一〇キロメートル(秒速二・七八メートル)と仮定すると、前記対面信号が赤色表示になつた時点後約〇・七六秒(したがつて、黄色表示になつてから約五秒足らず)で一郎単車と衝突し、右徐行速度を時速五キロメートル(秒速一・三九メートル)と仮定すると、約一・五一秒(したがつて、黄色表示になつてから約五・五秒)で一郎単車と衝突することになるから、本件衝突の時点は、前記対面信号が黄色表示になつてから、遅くとも五秒ないし六秒後と推認するのが相当である。

(3) そして、もし、一郎単車が、対面の赤色信号を無視して本件交差点に進入したとするならば、一郎単車は、赤色信号になつた後被告車と衝突するまでの一ないし二秒間に約四八キロメートル走行していた(時速約八六・四ないし一七二・八キロメートル)こととなつて、一郎単車の性能等(時速四〇キロメートルを超えない)からして、有り得ない結果となるから、一郎単車が、対面信号が赤色を表示していたにもかかわらず、これを無視して本件交差点に進入したことはなかつたものと認められる。

(4) 次に、一郎単車の本件事故当時の速度を確定し得ないことは、前記認定のとおりであるが、仮に、本件事故当時、その性能最大速度である時速四〇キロメートル(秒速一一・一一メートル)で本件交差点に進入し、被告車と衝突したものと仮定すると、一郎単車は、本件交差点の北側入口の車両停止線の手前約七メートルないし一八メートルの地点で、対面信号が青色から黄色に変わつた筈であり、その制動距離からいつて、同交差点の手前で停止できないから、本件交差点への進入が禁止されず、青信号進入とほぼ同視してよいこととなる。

そして、本件交差点はその規模が相当に大きいので、本件交差点に青色信号の終わりころ以後に適法に進入した車両であつても、交差点内で対面信号が赤色に変わることがあるから、対向する右折車両の運転者としては、かかる直進車のあることを通常予測すべきであり、被告の過失は、重大というべきである。

(四)  以上認定の各事実を総合して、双方の過失を対比すると、原告らの損害額から二割を控除するのが相当である。

したがつて、被告が原告三代子に対して賠償すべき損害額は、金二〇七四万二六五一円、その余の原告らに対して賠償すべき損害額は、各金四九八万五六六三円となる。

三  損害の填補

原告らは、自賠責保険から支払いを受けた金二五〇〇万円を、法定相続分に従い、原告三代子は金一二五〇万円、その余の原告らは各金三一二万五〇〇〇円ずつ前記各損害に充当した(弁論の全趣旨)。

そこで、原告らが損害の填補として受領した右各金員を控除すると、被告が原告三代子に対して賠償すべき損害額は、金八二四万二六五一円、その余の原告らに対して賠償すべき損害額は、各金一八六万〇六六三円となる。

四  弁護士費用〔請求額・原告三代子につき金一五〇万円、その余の原告らにつき各金三七万五〇〇〇円〕

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、原告三代子につき金八二万円、その余の原告らにつき各金一九万円と認めるのが相当である。

(裁判官 三浦潤)

別紙 略

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